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6人娘のおたくぶろぐ。
…↑ではありませんが、京都に行ってきたアルよ。大中です。
喜壱さんの記事は金閣で終わってるアルが…その後我々は何処へ向かったのか? ここへ向かったネ。 旧☆前☆川☆邸!!! 壬★生★寺!!! 何しに京都へ行ったんだという突っ込みは無しでヨロシ!意外と先生方の話が詰まらなかったから憂さ晴らしなんて事もないアルよ。ここで大中は一気に夢の世界へ駆け出したアル!! うぁぁぁぁぁぁぁ!山本さんのサインがぁぁぁぁぁ!! うわぁぁああぁぁ!かかかか刀が!しかも店の姉御に「抜いても良いですよ」って言われちゃったアル! おぁぁあっぁぁぁぁぁぁぁ!ちょ、ドーモ君が隊服着てるアルよぉぉ!写真切れてて見えないアルよぉぉぉ! ハァハァ、新撰組だぁ、ハァハァ ←危ない ととととと取り敢えず壬生寺へ……。 さっがそうぜ(HEY!)ドラゴンボーォル(HEY!)♪ 何故龍が居るのかは分からないが、ここに居たんですョ? あー…ここにいたんだ…ここに…ここにいたアルね…。 あー…櫻井さんの声が聞こえる…(幻聴)あの台詞が甦ってくる…。 あ”ー…やってくる…黄泉の国から…… え、ちょっと!皆置いて行かないでくれアル!!見捨てないで! そして夢心地のまま皆で記念撮影をパシリ。 更にこの後祇園と清水寺へ……。 飛び降りたい。 ……何してんだろ本当に。 でも、めっっっさ楽しかったアル…。オミヤ買ったから明日持ってくアルね! 始めはオープンキャンパスだった。 でも、こういう展開を狙っていた…。 こんな雰囲気が楽しくて仕方ない。 ↓大中の収穫。番傘、木刀、匂い袋。木刀は黒が良いアル!! ではここいらで。なんか自己満足な記事アルね…。大中の心キラリンメモリアルとして暖かい目で見て欲しいアル。さてさて次回はどうなるかドーーーン! (写真貼りすぎ) 旧前川邸・壬生寺とは? 旧前川邸
文久3年、近藤・芹沢ら浪士組が京都に残ることを決めてから、慶応元年に西本願寺に屯所を移すまでの約2年間、隊士達はここ前川邸と坊城通りに面した八木邸、南部邸など壬生の旧家に分宿した。 特に広大な敷地を誇る前川邸は、最も多くの隊士達の生活の場となった。前川一家は新選組に屋敷を占領され、油小路六角の本家の方へ移らざるをえなかったという。 池田屋事件の前に古高俊太郎が五寸釘責めの拷問を受けた土蔵、芹沢派で最後まで残った野口健司が切腹した出格子窓の部屋、総長・山南敬助が切腹した八畳間など、新選組史に残る数々の事件の舞台が今なお残る。 現在は田野製袋所と個人宅となっており、内部は非公開だが、建物はほぼ当時のまま残っている。 2003年夏から土日祝のみ開門され、土間で絵はがき等グッズが売られるようになった。 壬生寺 壬生寺では、毎年節分と四月下旬、十月中旬に壬生狂言が上演されている。パントマイム風のユーモラスな仮面劇。新選組隊士達も会津藩の人々と鑑賞したそうだ。 綾小路、千本、仏光寺、坊城の通に囲まれ、広大な境内を持つ壬生寺は壬生狂言でも有名だが、新選組ゆかりの寺としても有名だ。 新選組は壬生寺境内で軍事訓練をしていた。 大砲の訓練までしていて、寺側はとても迷惑したらしく、朝廷に嘆願書を提出している。 西本願寺に屯所が移されてからも「大砲の訓練は壬生寺で。」ということになって災難は逃れられなかった。 又、沖田総司が壬生寺の境内で近所の子供達と遊んでいたという話も有名だ。 近藤像の他に、芹沢派の田中伊織(新見錦)野口健司、池田屋事件で死亡した奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門ら7人の合同墓。その横には八木邸で暗殺された芹沢鴨と平山五郎の墓がある。 少し小振りの芹沢らの墓は他の墓石に比べて新しい。 元々は仏光寺通を挟んで向かい側にある壬生墓地(ここには八木家代々の墓がある)に葬られていたが、後に改葬されたそうだ。 拝観料を払いたくなかったので、其処まで行かなかった…。 PR
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